(これは「ガダルカナル島上陸戦 ~補給戦の実態~」の一部です)
7-1 第二悌団の輸送計画
第2梯団の輸送船2隻は増援部隊の一部に護衛されて、先遣隊と同じく8月16日朝にトラック島を出発した。増援部隊は、第8艦隊の第2水雷戦隊の田中頼三少将を司令官とする部隊で、軽巡「神通」、駆逐艦「陽炎」、「磯風」、第24駆逐隊(「海風」、「涼風」、「江風」)、哨戒艇1号、2号、34号、35号からなった。横須賀第5特別陸戦隊(横5特)は17日に、第1号、第2号哨戒艇に護衛された特設巡洋艦「金龍丸」でトラック島を出発した [4, p519]。足の速い「金龍丸」は、19日0530時に一木支隊第二悌団の船団に追いついて合流した。第2梯団と横5特は、22日にタイボ岬付近に上陸することになっていた。
田中頼三少将の写真 https:/ww2db.com/image.php?image_id=22224
7-2 第二悌団輸送の紆余曲折
7-2-1 8月20日
一木支隊がガダルカナル島で戦闘を行おうとしていた20日に、ショートランドを発進した日本軍大型飛行艇(大艇)2機が、サンクリストバル島東方に、空母を含む米国艦隊を相次いで発見した。この報告により、第2梯団はいったん北方へ引き返した後に再び南下した。これにより到着予定日は延びて24日となった。南東方面部隊は、この米国艦隊がラバウルからの攻撃圏に入る21日に航空攻撃を行うこととし、第13潜水隊に同方面への移動を指令するとともに(これによって一木支隊からの通信を潜水艦でラバウルへ中継することが出来なくなった可能性がある)、第5空襲部隊(第25航戦)に21日の攻撃を命令した。
この空母を伴う艦隊は、5-2節で述べたガダルカナル島への航空機を輸送している護送空母「ロングアイランド」とそれを護衛する艦隊だった。この艦隊は、20日に前述した航空機をガダルカナル島へ送り出すと反転帰投した。ガダルカナル島守備隊は、敵艦上機約20機が飛行場に着陸したことを報じた。
7-2-2 8月21日(敵機動部隊の出現)
21日朝に日本軍の哨戒機がショートランド南東方向に米国艦隊を発見し、空戦中という報告の後連絡を絶ったため、空母の存在がわかった。これは空母「エンタープライズ」、「サラトガ」、「ワスプ」からなるTF61部隊だった。これによってガダルカナル島周辺で一気に緊張が高まった。ラバウルの第5空襲部隊(第25航戦)は、敵機動部隊に向けて陸攻26機と零戦13機で攻撃をかけたが、発見できなかった。この攻撃隊の零戦の一部が、ガダルカナル島上空で、前日到着したばかりの海兵隊F4F戦闘機と空戦を行った。
また昼頃には今度はガダルカナル島東に輸送艦2隻と護衛艦からなる船団を発見した。これは遠かったので、翌日にガダルカナル島に近づいてから攻撃することにした [4, p550]。この輸送船とは別に、米軍はこの日輸送駆逐艦3隻(「コルホーン」、「グレゴリ」、「リトル」)と水上機母艦「マクファーランド」で食糧120トンと航空物資をガダルカナル島へ陸揚げした [9]。
7-2-3 8月22日
21日発見の2隻の輸送艦「アルヘナ」と「フォマルハウト」をガダルカナル島で攻撃するため、駆逐艦「江風」と「夕凪」に夜襲が命令された。「夕凪」は風浪のため攻撃予定時刻に到着できず、「江風」が22日夜に単独で突入した。しかしルンガ岬付近は視界が悪く、輸送艦を発見できなかった(輸送艦は夜には退避していた可能性がある)。
その代わり、「江風」はシーラーク海峡を航行中の駆逐艦2隻を発見し、その1隻に砲撃と雷撃を行った。この駆逐艦は上記の輸送船団を護衛してきた駆逐艦「ブルー」で、魚雷1本を艦尾に受けて航行不能となり、翌日ツラギ付近で処分された。一方で「江風」も退避中に米軍機からの銃撃を受けた。
21日に日本軍哨戒機が発見した上記の米軍の2隻の輸送艦は、この日と翌日にかけて物資と兵器の陸揚げにほぼ成功した [9]。この時に、7日の上陸時に揚陸できなかった土木機械類も陸揚げされた。これによって飛行場は急速な拡張・強化が可能になった。
7-2-4 8月23日
この日に第2梯団は、ヌデニから哨戒していたPBYカタリナ飛行艇に発見されたため、北方に退避した。そのため、ガダルカナル島への到着はさらに延期されて25日になった。米軍は発見した第2梯団に対して、空母「サラトガ」から急降下爆撃機と雷撃機を合わせた42機、ガダルカナル島からも23機で攻撃をかけたが、第2梯団は北へ反転していたため発見できなかった。これは第2梯団を護衛していた第2水雷戦隊の田中頼三少将の的確な判断だった。
第2梯団の輸送支援と敵の増援阻止のため、駆逐艦「陽炎」、「夕凪」、「江風」、「睦月」、「望月」によるガダルカナル島への夜襲が計画された。また「卯月」にはガダルカナル島守備隊への食糧弾薬の輸送が命令された。しかし、第2梯団の揚陸の延期により、駆逐艦による夜襲も24日に延期された。ところがこの延期命令が到着した時、「陽炎」は既に出撃した後だった。
同艦は単艦ルンガ岬沖に侵入し、2300時頃に陸上を砲撃した。この日、潜水艦「呂34」はルンガ泊地で輸送船を撃沈した記録が残っている [4, p583]。これはおそらく輸送艦「フォマルハウト」への雷撃と思われる。同艦はこの日ルンガ岬で潜水艦に雷撃されたが、命中していない。しかし日本艦の侵入(おそらく「陽炎」)により、積み荷の1/4を残したまま出航した。
7-2-5 8月24日
一方で、日本軍は20日の敵機動部隊発見の報を受けて、空母、戦艦、巡洋艦などからなる前進部隊と空母部隊を派遣しつつあった。この日、ラバウルから陸攻24機が零戦13機とともにガダルカナル島へ出撃したが、天候不良で引き返した。一方、空母「龍驤」からの97式艦上攻撃機(艦攻)6機が護衛の零戦6機と共にガダルカナル島の米軍基地を爆撃したが、効果がなかった上に、出撃した艦攻の内4機を失った。
この龍驤隊のガダルカナル島の基地攻撃は、敵機動部隊を誘致する囮という役目もあったかもしれないが、日本軍の航空戦に対する理解が出ている典型的なパターンかもしれない。艦攻の搭乗員たちは、ガダルカナル島付近の飛行は初めてだったと思われる。艦船への攻撃とは異なり、陸上基地への爆撃の効果を上げるには付近の地理に精通して目標を把握し、それに対して適切に進入しなければならない。それはいきなりでは無理で、真珠湾攻撃時のように事前に同様な状況を設定して十分に訓練しておくか、多数の護衛機で付近の制空権を確保して、上空から目標を確認してから、最適な爆撃進路に入るのが普通だろう。そのためには護衛機6機では少なすぎる。
一方で、海上から突然侵入する航空機の迎撃(敵機高度までの上昇と攻撃位置の確保)は容易ではない(この時期はまだレーダーは設置されていなかったと思われる)。攻撃隊が侵入後にそのまま1航過で爆撃していれば、攻撃隊の被害は少なかったかもしれない。攻撃隊は上空で目標を確認しようとして、敵戦闘機に狙われて4機も撃墜されたのではないだろうか。護衛機との連携も不十分だったかもしれない。また爆撃が成功していても、わずか6機での効果は限定的だっただろう。しかし、後述する連合艦隊参謀長電のように、日本軍は攻撃さえすれば何らかの効果があるはずという思い込みもあったようである。第15章でも議論するが、日本軍は航空機を用いて敵基地制圧をどうやって行えば良いか、という航空戦に対する考え方が十分ではなかったと思われる。
この日、第二次ソロモン海戦が生起した。ここではそれに詳しくは触れない。この海戦で空母「龍驤」は米空母「サラトガ」の艦載機によって沈没した。一方で、空母「エンタープライズ」が損傷したが、それによってSDB急降下爆撃機11機が飛来したため、ガダルカナル島の航空戦力は逆に強化された [10]。
その頃第2梯団は、遠くに龍驤隊の戦闘を見ながらいったん西方に避難した後、夜に南下を再開した。連合艦隊司令部は、敵航空戦力の制圧のため、第30駆逐隊(「睦月」、「望月」、「卯月」)によるガダルカナル島夜襲を企図した。同隊は2200時から飛行場に対して10分間砲撃を行った。また第8艦隊重巡洋艦から水偵5機も夜間爆撃を行った。米軍の記録は、被害は軽微だったと述べている [10]。第30駆逐隊の指揮官は「夜間陸地砲撃ハ目標視認困難弾着観測不可能ニテ効果ヲ期待出来ザル」 [4, p586]と述べている。
実際は空中、もしくは地上から目標への誘導がなければ、夜間の海上からの砲撃で目標を破壊することは困難だった。そのためか9月18日には水上機から照明弾を投下してルンガ岬付近を駆逐艦が砲撃している [30, p139]。それでも効果は不明だった。
しかし連合艦隊参謀長は、空母「龍穰」による爆撃と今夜の駆逐艦と水偵による攻撃によって、2130時に「明日ノ残存兵力ハ微弱ナルモノト認ム」と発信した [7, p329]。日本軍は、この後も再三にわたって駆逐艦や巡洋艦で海上から飛行場を砲撃したが、10月の戦艦による砲撃を除いて、米軍の記録ではほとんど影響はなかったと述べている。
7-2-6 船団輸送の挫折(8月25日)
この日(8月25日)は月明でしかも視界が良かった。南下を再開した船団は0時過ぎに敵飛行艇の接触を受けた。0600頃に、船団はガダルカナル島から300 kmの航空攻撃圏内に入った。増援部隊の第2水雷戦隊旗艦の軽巡洋艦「神通」は、ガダルカナル島からの急降下爆撃機の攻撃を突然に受け(味方機と誤認したという説もある)、大破した。また「金龍丸」も爆撃を受け、搭載弾薬に引火して大火災となった。船団は北西に退避した。「金龍丸」は、救助に当たった駆逐艦「睦月」によって処分されて沈没した。皮肉なことに、第二次ソロモン海戦によって空母「エンタープライズ」が損傷したため、ガダルカナル島に飛来した同艦の急降下爆撃機の優秀な搭乗員が、この船団攻撃を強化した面があった。
その後、今度はB-17が来襲し、「金龍丸」救助中の駆逐艦「睦月」が被弾して0940時に沈没した。乗員は駆逐艦「彌生」と哨戒艇に救助された。第2水雷戦隊司令官田中少将は、旗艦を「神通」から駆逐艦「陽炎」に移して、第2梯団の残りの船にショートランドへの退避を命じた。結局、一木支隊第2梯団の輸送は失敗した。
7-3 輸送失敗のその後
この被害を受けて、制空権のないところに制海権はなく、その制空・制海権の伴わないところへの輸送を成功させることが、いかに困難かを日本軍は改めて認識せざるを得なかった。連合艦隊司令部は第2梯団の輸送船による輸送を断念し、以後、川口支隊の輸送と合わせて、駆逐艦などの軽快艦艇での輸送(鼠輸送)に変更することになった。反対に、21-22日にかけて米軍は輸送艦による物資輸送に成功した。米軍は日本軍の増援を阻止した上で、著しく不足していた食糧、火砲、弾薬、鉄条網などが陸揚げされた。米軍の防衛体制は、まだ弱体であったが一息ついた。
日本海軍の第2梯団への支援は懸命であった。しかし天候の影響もあり、米軍の輸送に対する妨害には、徹底さを欠いていた感がある。ラバウルの陸海軍は、8月18日には陸軍南海支隊主力がブナ上陸するなど、ニューギニア方面の作戦にかなりの戦力を割いていた。米軍のガダルカナル島への緊急の輸送はほぼ成功し、これによって航空機を含む活動が強化・活発化した。これによって日本軍の輸送状況はさらに悪くなることになった。
第2梯団は8月16日にトラック島を出たが、輸送船の船速は8.5ノットと遅く、しかも敵潜水艦からの攻撃を回避する航行を常時行わなければならなかった。戦史叢書には、「船団は8.5節の低速で、之字運動、牛歩遅々、まことにのんびりしたものであった」とある [7, p298](節はノット、之字運動は潜水艦回避航行のこと)。また敵艦隊の発見により2度反転してさらに遅れた。
第2梯団が攻撃を受けた25日と比べると、22日と23日は陸攻が天候不良で引き返したように、ガダルカナル島付近の天候や視程は良くなく、逆に船団が島に接近しても米軍に発見されにくかったかもしれない。しかも5-2節で述べたように、この時期、ガダルカナル島のF4F戦闘機は8機、P-400戦闘機は14機しか飛行できず、米軍航空戦力は疲弊していた。
しかし、第二次ソロモン海戦によって損傷した空母「エンタープライズ」の急降下爆撃機11機が、24日にガダルカナル島に飛来して、その後日本の輸送船団攻撃に参加した。また8月30日にはF4F戦闘機とSDB急降下爆撃機、合わせて29機がガダルカナル島に増援された。さらに、9月11日から12日にかけて、雷撃によって損傷した空母「サラトガ」の戦闘機、急降下爆撃機、雷撃機合わせて42機が、ガダルカナル島に飛来した。これらによって、ガダルカナル島の米軍航空戦力はどうにか維持されていた。
参照文献はこちら