ガダルカナル島上陸戦 ~補給戦の実態~
1. はじめに
1-1 この解説の信頼性
1-2 この解説の狙い
1-3 孤島での上陸戦とは?
1-4 この解説の範囲
1-5 アリューシャンでの戦いとの対比
2. ガダルカナル島での戦いが始まるまでの経緯
2-1 1942年4月段階での日本軍の考え
2-1-1 ポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)
2-1-2 ニューカレドニア・フィジー・サモア(FS)作戦
2-2 日本軍によるツラギの占領
2-2-1 それまでのツラギの情勢
2-2-2 ツラギの占領
2-2-3 米国機動部隊によるツラギへの空襲
2-3 日本軍による飛行場建設
2-4 ガダルカナル島上陸のための米軍の対応
2-4-1 1942年春までの米軍の体制
2-4-2 1942年4月以降の米軍の体制
2-4-3 ツラギ奪回作戦までの経緯
2-4-4 ガダルカナル島での飛行場建設の発見
2-5 米軍の上陸作戦(水陸両用作戦)とは
2-5-1 海兵隊の成り立ち
2-5-2 水陸両用作戦のための戦法
2-5-3 水陸両用作戦のための装備
2-6 ツラギ島とガダルカナル島への上陸作戦計画
2-6-1 攻撃部隊の構成
2-6-2 地図などの情報
2-6-3 沿岸監視員による情報
2-6-4 上陸用資材の搭載
2-6-5 上陸部隊と護衛艦隊
2-6-6 海兵師団と上陸訓練
2-7 連合国軍反攻の兆候に対する日本軍の見方
3. 米国海兵隊の上陸
3-1 上陸前の日本軍の状況
3-1-1 ラバウル方面の日本軍の体制
3-1-2 日本軍による哨戒
3-1-3 日本軍の通信諜報
3-2 米軍の上陸と日本軍の対応
3-2-1 ツラギ島など
3-2-2 ガダルカナル島
3-2-3 日本海軍外南洋部隊
3-2-4 連合艦隊司令部と海軍軍令部
3-2-5 陸軍第17軍
3-2-6 大本営陸軍部
3-3 日本軍航空機による反撃
3-3-1 8月7日の攻撃
3-3-2 8月8日の攻撃
3-3-3 8月9日と10日の攻撃
3-4 航空攻撃と第一次ソロモン海戦の影響
3-4-1 機動部隊の撤退
3-4-2 米軍輸送艦の撤退
3-4-3 輸送艦を攻撃しなかったことについて
3-5 初期の日本軍の判断
3-5-1 南東方面部隊
3-5-2 第17軍
3-5-3 連合艦隊と大本営
3-5-4 その後の状況と判断
3-5-5 判断根拠への疑問
3-6 上陸以降の海兵隊の状況
3-6-1 上陸直後
3-6-2 12日夜のマタニカウ川西での戦闘
4. その後の海軍基地航空部隊の活動
4-1 日本の基地航空部隊の増援
4-2 ガダルカナル島への航空攻撃
5. 米軍による飛行場の整備
5-1 米軍による飛行場の整備
5-2 米軍航空部隊のガダルカナル島への進出
6. 一木支隊先遣隊による戦闘
6-1 一木支隊の派遣
6-2 ソビエト連邦からの情報
6-3 一木支隊先遣隊の戦闘
6-3-1 斥候隊同士の戦闘
6-3-2 21日のイル川での戦い
6-3-3 一木支隊によるイル川での戦いの問題
7. 一木支隊第二悌団の輸送
7-1 第二悌団の輸送計画
7-2 第二悌団輸送の紆余曲折
7-2-1 8月20日(敵空母の出現)
7-2-2 8月21日
7-2-3 8月22日
7-2-4 8月23日
7-2-5 8月24日
7-2-6 船団輸送の挫折(8月25日)
7-3 輸送失敗のその後
8. 川口支隊の輸送
8-1 駆逐艦による輸送の開始
8-2 第1回鼠輸送(8月27日~28日)
8-2-1 輸送の混乱と失敗
8-2-2 相反する命令の問題
8-2-3 ガダルカナル島放棄論
8-3 R方面航空隊の新設
8-4 川口支隊のタイボ岬への輸送(8月29日~9月5日)
8-4-1 ブカ島への母艦零戦の派遣
8-4-2 8月29日
8-4-3 8月30日
8-4-4 8月31日
8-4-5 9月1日
8-4-6 9月2日
8-4-7 9月3日
8-4-8 9月4日
8-4-9 9月5日
8-4-10 川口支隊の駆逐艦輸送のまとめ
8-5 川口支隊一部の舟艇機動(9月2日~9月5日)
8-5-1 舟艇機動決定までの経緯
8-5-2 舟艇機動の開始
8-5-3 舟艇機動の結果
9. 日本軍の戦略の転換
10. 川口支隊による飛行場攻撃
10-1 第17軍上層部の考え
10-2 ガダルカナル島での川口支隊の行動
10-2-1 攻撃日の延期問題
10-3 米軍のタイボ岬奇襲上陸
10-4 日本軍の攻撃支援
10-4-1 日本海軍の攻撃支援計画
10-4-2 日本軍航空部隊による爆撃
10-5 川口支隊の展開
10-5-1 第17軍司令部との通信不通
10-5-2 飛行場東方への展開:イル川方面
10-5-3 飛行場西方の展開:マタニカウ川西岸コカンボナ方面
10-6 米軍の展開
10-7 ムカデ高地での戦闘
10-7-1 9月12日の攻撃の混乱
10-7-2 9月13日の攻撃
10-7-3 9月13日の左翼隊の攻撃
10-7-4 攻撃後の日本軍の行動
10-7-5 川口支隊の転進
10-7-6 ラバウルの陸海軍司令部の状況
11. 川口支隊攻撃後のまとめ
11-1 米軍の増援
11-1-1 空母「ワスプ」の撃沈
11-1-2 増援の成功
11-2 川口支隊による攻撃の課題
11-2-1 攻撃開始日の繰り上げの是非
11-2-2 火砲の軽視
11-2-3 川口支隊長の対応
11-2-4 もし岡部隊がタイボ岬に上陸できていれば?
11-3 攻撃失敗についての当時の分析
11-3-1 大本営の分析
11-3-2 第17軍司令部の分析
11-3-3 連合艦隊司令部の分析(宇垣参謀長の日誌による)
12. 米軍のガダルカナル島上陸のまとめ
12-1 ガダルカナル島上陸直後の日米の判断
12-2 輸送の問題
12-2-1 孤島への輸送の困難さ
12-2-2 米軍の揚陸方法
12-2-3 日本軍潜水艦による攻撃
12-2-4 船舶輸送の問題
12-2-5 軍艦を用いた陸軍部隊の輸送について
12-2-6 海岸への揚陸の問題
12-2-7 特設巡洋艦と高速商船について
12-3 日本軍の通信の問題
12-3-1 コミュニケーション文化の問題
12-3-2 通信を用いた戦闘指揮
12-3-3 規格化・標準化の問題
12-4 その他の問題
12-4-1 沿岸監視員による情報網
12-4-2 航空攻撃時の天候把握
12-4-3 上陸直後の日本軍の対応
12-4-4 ガダルカナル島までの中間基地
12-4-5 日米両軍兵士の練度
12-4-6 戦艦を用いた飛行場砲撃
12-5 熱帯の気象の補足
13. その後からガダルカナル島撤退までの概要
14. なぜガダルカナル島で?~戦前の防衛方針の問題~
14-1 第一次世界大戦後の戦法革命
14-1-1 エネルギー革命
14-1-2 航空機の発達
14-2 戦前の資源確保と防衛方針との関係
14-2-1 帝国国防方針の第3次改定(1936年)
14-2-2 第3次改定による仮想敵国の多国化
14-2-3 海軍制度調査会による「国策の基準」(1936年)
14-2-4 軍縮条約脱退後
14-2-5 戦争直前(1940年頃)
14-2-6 石油の全面禁輸以降
14-2-7 理想的な戦備体制とは?
14-3 開戦後の戦略
14-3-1 フィジー・サモア(FS)作戦
14-3-2 ポートモレスビー攻略とSN作戦
14-3-3 米軍の長距離爆撃機の影響
14-4 ガダルカナル島が戦場になったまとめ
15. 日本海軍の航空戦への理解
15-1 航空機運用の特殊性
15-2 航空戦力の量に対する考え方
15-2-1 第一次世界大戦の経験15-2-2 航空機の製造について
15-2-3 操縦者の養成問題
15-2-4 搭乗者の疲労への対処
15-3 航空対峙戦への理解
15-4 航空戦での通信について
15-5 電波誘導兵器について
15-6 日本軍の対空兵器の貧弱さ
15-7 司令官の航空戦への理解
15-7-1 米国の場合15-7-2 日本の場合
15-8 戦闘機とは?
15-8-1 戦闘機の役割15-8-2 戦闘機と機銃
15-8-3 戦闘機と格闘戦
15-8-4 零戦を用いた迎撃について
15-8-5 米国の艦上戦闘機