(これは「ガダルカナル島上陸戦 ~補給戦の実態~」の一部です)
日本軍陸軍全体で見ると、大本営陸軍部にとっては中国での重慶攻略作戦(51号作戦、9月3日以降5号作戦と呼称)が主であり、南太平洋方面自体が、太平洋方面の戦略的守勢の単なる一方面に過ぎなかった。米軍によるソロモン及び東部ニューギニア方面での反攻が、やがては日本軍作戦の正面となり、そこで決戦的攻防戦を展開することになる、という予想はなかった [7, p412]。
しかも、その南太平洋方面を担当する17軍では、ニューギニア方面の作戦が主で、飛行場奪回への甘い見通しもあって、ガダルカナル島方面の作戦は二義的だった。しかし一木支隊の全滅、川口支隊の輸送失敗などを受けて、日本陸軍はガダルカナル島飛行場の重要性と米軍の反攻意図を理解し、飛行場奪回が思っていたようにはならないことをようやく悟った。陸海軍統帥部では、8月31日、「情勢に応ずる東部「ニューギニア」「ソロモン」群島作戦に関する陸海軍中央協定」を、ニューギニアよりガダルカナル島奪回を優先する内容に変更した [34, p13]。
なお2-4-2節で見たように、米軍は方面部隊を組織すると、その司令長官の下に陸軍(航空部隊を含む)と海軍(と海兵隊)の関連部隊を置いて一元化して指揮した。しかし日本軍では、大本営の中で陸軍と海軍で中央協定を結んだり、それぞれの司令官の下で現地協定を結んだりして対応した。そのため、協定内容を実施するにしても陸海軍の間で温度差が出たり、臨機応変に欠ける部分があったりしかもしれない。
9月5日に連合艦隊司令長官と陸軍第17軍司令官との間に「ガ島奪回に関する現地協定」が締結された。その内容は残っていないが、陸軍が飛行場を奪回し、その間海軍は敵の増援を阻止し、自軍の補給・増援の輸送を行い、かつ陸軍の攻撃を支援する攻撃を行うものと推測されている [30, p72]。ともかくもここにきて、日本軍はガダルカナル島奪還にようやく本腰を入れることとなった。ただ第17軍は、この後に及んでも飛行場奪回は容易と見ていた [30, p73]。
大本営はこの機会にラバウルを視察することにし、9月4日に陸軍参謀次長田辺盛武中将や海軍軍令部次長伊藤整一中将、竹田宮恒徳参謀などの一行が、ラバウルに到着した。そして東京へ戻った10日に竹田宮参謀は、次のように報告した。それは、第17軍はソロモン諸島とポートモレスビー作戦準備を概成し、両作戦の完遂に自信を持って志気極めて旺盛であるものの、両方面の敵情をまだ完全に把握していない [34, p27]、というものだった。敵情不明なのに第17軍が作戦完遂に自信を持っている、とは理解に苦しむ。
海軍は、第25、第26航空戦隊に加えて、第21航空戦隊(定数:飛行艇16機、陸攻48機、戦闘機36機)、第23航空戦隊の戦闘機の一部、第24航空戦隊の戦闘機と陸攻の一部をラバウルに派遣した。その総計は基地航空部隊236機、水上機部隊54機に達し(あくまで定数だと思われる)、川口支隊の攻撃開始ごろには少なくとも戦闘機100機、陸攻約60機の作戦参加が想定された。
陸軍も、9月9日に初めて司令部偵察機部隊(独立飛行第76中隊)を第17軍に編入した。これは陸軍航空部隊の南東方面進出の最初のものであり、偵察機部隊は、写真撮影及びその判読能力も持っていた [7, p428]。しかし後述するように、ジャングル内とはいえ、現地の地形・地理の情報不足が、部隊配置や進軍に混乱をもたらし、それが攻撃失敗につながったことは否めない。また、米軍海兵隊防衛陣地を写真撮影して、兵力配置を確認した記録もない。砲兵隊陣地の正確な位置がわかっていれば、事前に爆撃や艦砲射撃でそれを潰せていたかもしれない。
この協定で当初から問題になっていたのは、現地の川口支隊の攻撃開始日だった。上陸後の攻撃開始には準備時間が必要だが、時間が経つほど敵の防備が堅牢になると考えられていた。海軍側も、攻撃日に合わせて艦艇のやりくり、燃料の補給、航空作戦の準備などの調整が必要だった。さらに海軍は、陸軍の攻撃に合わせて出てくるであろう敵機動部隊の捕捉撃滅を狙っていた。それらを勘案した結果、この協定において攻撃開始日は9月11日とされた。しかし、後に川口支隊の都合で、月明がない12日となった。
しかし、この不十分な検討のもとに決定された事前日程は、現地の状況によって前後し、海軍との緊密な連携を難しくした。最終的には現地での部隊の展開も、地形や密林によって順調にはいかず、部隊同士の連携を欠いた不徹底な形での攻撃の元となる。
海軍ではこのガダルカナル島奪還の支援を行うに際して、トラック島の燃料補給施設の貧弱さが認識された。ここには、南太平洋南東方面で多数の艦艇が作戦するだけの重油を貯蔵できる施設がなかった。また、カビエンとラバウルの各飛行場では、上述した作戦に必要な多数の航空機を収容することでできなかった。そのため、これらの飛行場と航空廠を急速拡充するとともに、ラバウルから500 km、ガダルカナル島から600 km先の中間地点ブインに、飛行場を設営する事になった。そのための設営隊と資材は9月8日にブインに揚陸された [4, p38]。完成は9月末と想定された。
ラバウルからガダルカナル島までのソロモン諸島付近の図 (再)
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